オシム節

 日本代表前監督のイビチャ・オシム氏(67)が日本サッカー協会(JFA)とアドバイザー契約を結び、4日に東京・本郷のJFAハウスで行われた会見に出席した。昨年11月に脳梗塞(こうそく)で倒れてからは初めての会見だったが、約40分間しゃべりっぱなし。オシム語録を随所に交え、日本サッカーへの提言から、代表監督復帰への思いも語った。

 昨年11月16日に倒れてから201日。ウイットに富んだ言葉はパワーアップしていた。テレビカメラ7台、104人の報道陣が詰めかけた会見では「向こう側の世界まで行って、戻ってきました」とあいさつ。脳梗塞の影響で左腕など左半身にマヒが残るが、いきなり毒の効いた“オシム語録”で会場を沸かせた。


  やはりオシムはすごい!と言わざるを得ない。あれだけ意識不明期間が続いたのに元気な姿を見せ、記者会見を開いた事に順天堂大学附属浦安病院の医療技術の高さを改めて知った。我輩も脳梗塞になったら順天堂浦安へ運べと息子に伝えたが、三重県からでは金がかかると断られた。

 オシム親日家である。日本酒が大好きで、琴欧州を応援する相撲ファンでもある。金に執着は無く、過去にはお釣りはチップとして受け取らなかったという。今は日本の風習にも慣れ、小銭は貯金箱に貯め母国ボスニアの子供達に寄付する事を忘れないという。
 オシムは1986年、ユーゴ代表監督に就任しているが、ユーゴ軍がサラエボに侵攻(1992年)の激動の時期を戦っている。過去にはサラエボ大学で数学・物理を学んだ考え方は理論的であり、一本筋の通った考え方はオシム語録につながっていく。

 今回、オシム語録に一つ追加される事になるが「ベンチに座りたいが、ベンチで死にたくはない」という言葉は周りに気づかっている事がわかる。特に岡田監督はちょっと面白くないのではないかと、心中を察するわけであるがとり方によっては頑張れるのである。今回の会見で元気な姿を見れたことは非常に勇気づけられたのである。


追記:
 オシム語録は翻訳である。過去2人の通訳がいた。一人は日本の政治学者、ジャーナリストの千田 善氏(ちだ ぜん、1958年10月10日 - )である。元サッカー選手でユーゴ紛争の著書も多く、オシムとは合う様な気がする。漫画家でほぼ日刊イトイ新聞で連載している、吉田戦車は従兄弟である。
 そしてもう一人が三重県出身で暁高等学校から日本体育大学サッカー部に進んだ間瀬 秀一氏(ませ しゅういち、1973年10月22日 - )である。海外のプロチームと契約していたが、日本ではプレーせず、キャリアは全て海外と言う異色の現役生活であった。現在ジェフ千葉のコーチに就任いるので通訳は過去のことであるが理論派であることは間違いない。

 2人のサッカー経験者が通訳を勤め、オシム語録を訳したのかと思うとなんとなく面白いと思った。