朝青龍“解雇”

 大相撲の横綱朝青龍(29)=高砂部屋=が4日、初場所中の先月16日未明に、知人男性との暴行騒動を起こした責任を取って引退した。モンゴル国籍で年寄名跡を持たない朝青龍は協会を去ることになる。武蔵川理事長(元横綱三重ノ海)は今月1日に、師匠の高砂親方(元大関朝潮)に4日までに朝青龍に引退を決意させるよう通告。事実上の解雇処分ともいえる状況に追いやられた朝青龍は会見で「けじめをつけるのは僕しかいない」と、涙した。
 理事会から出てきた朝青龍は目には涙を浮かべていた。「泣いているのですか?」。そう問いただされ、意を決したように横綱が切り出した。「いろいろお世話になりました。引退しました」。騒然とする報道陣を引き連れ、自分の車に向かう。「今は(心が)晴れた気持ち」と言い残し、一度、国技館を去った。

 理事会は朝青龍の処遇で紛糾した。冒頭で横綱審議委員会の総意「引退勧告」が役員に説明された。正午に休憩。吉野監事は「もめている。朝青龍を呼ぶ」と漏らした。朝青龍と師匠の高砂親方(元大関朝潮)が呼び出され、一度の中断をはさみ取り調べと釈明を行い、師弟が退室した。約25分間後、再び理事会に呼び込まれ、ここで引退を申し入れた。

 引退へのレールは事前から敷かれていた。武蔵川理事長(元横綱三重ノ海)は1日までに高砂親方に「4日までに引退する決断をさせろ」という内容の指示を出していた。結局、この日を迎えるまで朝青龍は覚悟を固めきれずにいたが、横審、理事長の意向に加え、解雇を求める理事が複数いたこともダメ押しとなった。ここ数日間で土俵際に追い込まれた朝青龍。引退は事実上の解雇だった。4日付で暴行騒動の調査委員会は解散、協会が真相を究明することはなくなった。

 再び国技館に戻っての引退会見。入場時は笑みを浮かべていたが「メディアで流れることと実際起こしたことにかなり大きな差がありました」と騒動が大きくなったことへの不満も口をついて出た。騒動で土俵を去ることには「自分にとって運命じゃないかな」と話しながらも、無念さもにじませた。指摘され続けた品格問題には「やっぱり勝負事ですから、土俵に上がれば鬼にもなる」と悪びれなかった。

 抑えていた感情が爆発したのは思い出の一番を問われた時だった。「やっぱり…。両親の前で、横綱武蔵丸関を倒した時(01年夏場所初日)が……、誇りに思います」。自然と涙があふれ、ハンカチでぬぐった。笑って、怒って、泣いて…。喜怒哀楽が激しい横綱らしい、引退会見だった。

 前人未到の7連覇、年6場所完全制覇、優勝25回。数々の記録以上に、サッカー騒動、内館牧子委員との舌戦、暴行騒動など土俵外でも記憶に残る横綱だった。会見を終えた後、「お疲れさまでした。ありがとう。ありがとう」と笑って迎えの車に乗り込んだ。お騒がせ横綱は笑顔で手を振り、国技館に別れを告げた。


 どうもこの騒動もよくわからない。日本相撲協会の衰頽過程の出来事なのか、国技とスポーツの狭間の問題なのか、外人力士の考え方の問題なのか理解できない。最後まで誰が悪いのか分からない会見であったが、特に師匠の高砂親方(元大関朝潮)は人ごとで、俺は悪くないような顔色であったが、「お前の指導が悪いから、こうなったのではないのか?」と言いたい。

 今回の騒動で師匠・高砂親方(元大関朝潮)は役員待遇から2階級降格の主任となったそうであるが、本人あまり気にしてないようである。まあ、こんなに世間を騒がせたのであるから、武蔵川理事長(元横綱三重ノ海)もそのままの地位にとどまるとは思えない。さあ、この深〜い藪の中誰が光を入れてくれるのか期待はしないほうが良いようだ。