第1回野口英世アフリカ賞

 政府創設の医学賞「第1回野口英世アフリカ賞」を受賞したブライアン・グリーンウッド博士(69)=医学研究部門、英国=とミリアム・ウェレ博士(68)=医療活動部門、ケニア=が29日来県し、猪苗代町野口英世記念館などを訪れた。地元児童らから熱烈な歓迎を受け、野口博士が結んだ世界と福島の絆を感じていた。【太田穣】

 両博士は同日、東京で記念講演した後、新幹線で県内入り。同記念館に到着すると、野口博士の母校である町立翁島小学校の児童らが小旗を持って出迎え、「野口英世」の歌(土井晩翠作詞、古関裕而作曲)で歓迎した。野口英世記念会会長の高添一郎・東京歯科大名誉教授が案内し、2人は野口の生家や記念館内を見学した。

 歓迎セレモニーでグリーンウッド博士は「書籍では読んだことがあるが、野口がどのような環境で学び、素晴らしい業績を成し遂げたかを実際に来て知ることができ、感謝している」とあいさつ。ウェレ博士は「歓迎してくれた子供たちから、野口のような強い意思を感じた。将来アフリカに来てほしい。賞を機に福島とアフリカ、そして世界が友情で結ばれることを期待している」などと話した。

 2人は同夜、知事主催の歓迎レセプションに出席。30日は会津大で記念講演し、野口英世青春広場での「野口英世博士をたたえるつどい」に参加する。

 同賞は小泉純一郎元首相の発案で、政府が創設。5年に一度、医学研究や医療活動に貢献した個人、団体を顕彰する。


横浜市で開かれていた第4回アフリカ開発会議(TICAD4)は30日午前、「アフリカの経済成長を加速化させることが重要」とする横浜宣言を採択して閉幕したのだが、何か盛り上がりにかける会議であった。テレビでも報道されていたが、政府開発援助(ODA)や民間投資のことのみ語られ、40カ国の首脳クラスと会談も事務的に終わってしまったように印象が悪い。

 そんな中、アフリカに関する医学研究や医療活動分野で貢献した人を表彰する「野口英世アフリカ賞」を創設した事は、日本にとって意義深い。野口英世博士没後80年、当時野口英世博士がアフリカに貢献したことを思うと、アフリカ開発会議(TICAD4)でもっとできる事があったのではないかと思うのであるが、福田首相の立ち回りは下手糞であった。