校名「伊賀白鳳高校」に 

 県教育委員会は27日、伊賀市の上野工業、上野商業、上野農業の県立3高校を統合して2009年4月に開校する新設高校の校名を「伊賀白鳳高校」に決めたと発表した。

 校名は昨年12月から今年1月まで、県内で公募。348点251種類が集まり、県教委や市教委、PTAでつくる選定委員会が「伊賀白鳳」「上野南」「伊賀志学館」の3つに絞った。

 県教委は選定委の報告を受け、伊賀上野城の別名「白鳳城」にちなみ、生徒一人一人が夢に羽ばたける名称だとして決めた。6月30日の定例県議会最終日に関連条例案を上程する。

 新しい制服も濃いグレーを基調にした男子はスーツ風、女子はブレザーとチェック柄のスカートにした。ともにエンジ色のネクタイを着ける。



 「白鳳城」にちなんで、校名「伊賀白鳳高校」とはいい名前だ。
白鳳城を築城したのは築城の名手、まちづくりの名手といわれる藤堂高虎公である。1608年(慶長13年)家康の命により城の大改修が行われ、石垣も高くなったといわれている。その後は家康の天下になり台風で壊れた天守も修理儘ならぬ事から近代を迎えている。

 しかし、明治28年(1896年)実業家、田中善助により城周辺の整備をおこないそして昭和10年(1935年)、衆議院議員であった川崎克の私財により天守が再建されたのである。上野という風土は三重県でもすこし違うところがある。京都と同じ盆地である為、冬寒く夏暑いので我慢強い人間が多いのである。川崎は木造瓦葺き、白壁の塗込めを行うなど後世に遺産を残している。だから、子は川崎秀二、孫は川崎二郎という大物政治家としての揺るぎ無き地位を築いている。

 話はそれてしまったが、この白鳳城は映画『影武者』の撮影現場としても有名で、綺麗な城である。上野工業、上野商業、上野農業の生徒はこの城のように基礎のしっかりした石垣を持ち、真っ白な漆喰のように夢のある3年間を過ごして欲しいと願うのである。