映画監督・市川崑さん逝く
映画監督の市川崑さん死去 「ビルマの竪琴」「犬神家の一族」などの名作で知られる映画監督で文化功労者の市川崑さんが13日午前1時55分、肺炎のため東京都内の病院で亡くなった。92歳だった。1956年に「ビルマの竪琴」でベネチア国際映画祭サン・ジョルジョ賞など海外の映画祭で高い評価を受け、50年以上にわたって日本映画界をけん引した。葬儀・告別式は近親者のみで行い、後日、お別れの会を開く予定。喪主は長男健美(たつみ)氏が務める。
邦画の巨匠である市川崑監督が92歳肺炎で亡くなった。彼は1915年、三重県宇治山田市(現伊勢市)生まれである。数々の監督映画作品を世に残しながらも、91歳の誕生日前には、「もう少し長生きして、ちゃんとした映画をつくりたい」と語ったという。
ヘビースモーカーとして有名で、92歳肺炎で亡くなったが、喫煙と寿命との関係は監督には関係なさそうである。元気なころに抜歯した歯の間にタバコを差し込みすう姿は、蒸気機関車を連想させ、多くの作品を精力的に作った事もうなずける。
その昔、三重県の汚い映画館で『東京オリンピック』(1965年)や『第50回全国高校野球選手権大会 青春』(1968年)を学校から見に行ったことを思い出すと懐かしい。映画ばかりではない、テレビでも『木枯し紋次郎』の監修や監督を務めている。銀幕の世界にほれ込んだ男の一生は羨ましいばかりである。
きっとあの世で「たくさんの作品と人材を残しましたねぇ」なんて聞くと、紋次郎が口にするように「あっしには関わりがねぇこって」なんて言葉が返ってくるような気がする。
お疲れ様でした。
映画賞
1956年 『ビルマの竪琴』で
- ヴェネチア国際映画祭サン・ジョルジョ賞
- アカデミー賞外国語映画賞ノミネート
- リスボン国際映画祭審査員特別賞
- エジンバラ国際映画祭グランプリ
1959年 『野火』で
1960年 『鍵』で
1961年 『おとうと』で
1962年 『私は二歳』で アジア映画祭監督賞
1965年 『東京オリンピック』で
1983年 『細雪』で
- アジア太平洋映画祭グランプリ
- 同・監督賞
1984年 『おはん』でアジア太平洋映画祭審査員特別賞
1994年 『忠臣蔵 四十七人の刺客』で東京国際映画祭審査員特別賞
2000年 ベルリン国際映画祭特別功労賞
2001年 モントリオール国際映画祭功労賞