自動車メーカー全社、生産を一時停止


 新潟県中越沖地震の影響で、車の心臓部であるエンジン部品のピストンリングの生産が出来なくなり、トヨタ自動車などを含め、国内メーカー12社すべてが生産休止に追い込まれることになった。すなわち、国内自動車生産の約8割が一時ストップするという。この会社は「リケン」と言い、国内 50%、世界 20%のシェアを誇る会社である。国内には埼玉の熊谷事業所と被災した柏崎にある10の工場を持つ柏崎事業所がある。
 もともとエンジンのピストンリングという精度の高い製品であるから、地震により工場フロアーの平面精度が出なくなったら調整するのに非常に高い技術力がいるし、時間もかかる。各メーカーからかなりの応援者がそれぞれのリケンの工場に入っていると聞くが、その数1000名弱、国内メーカーはそれぞれいらいらしながら再開を待ち望んでいる。

 株式会社 リケン(東証1部 6462) は特定のカーメーカーの資本系列に属さない独立系のメーカーで、自動車関連部品事業(自動車用・二輪車ピストンリングなど)・建設関連部品事業(鋼管用継手、ステンレス管用継手など)・その他事業(船舶用・農機用・汎用ピストンリング、シールリングなど)生産している。1926年 大正15年 理化学研究所 大河内研究室、海老原敬吉博士によりピストンリングの製造法が発明された。翌年昭和2年理化学興業(株)設立(当社の前身)、日本で初めて実用ピストンリングの製造を開始した。そして1932年 昭和7年 新潟県柏崎町に柏崎工場を建設し、数々の特許を取得し、現在の「リケン」に発展した。

 余談ではあるが、かの本田宗一郎氏もピストンリングを製造する為、聴講生として浜松高等工業(1938年)へ通い、ピストンリングの基礎を学んでいる。その時の会社は「東海精機重工業」といい、 ピストンリングの製造に成功したが、トヨタの石田退三が役員に就任するなど順調にいったが、終戦で持ち株を売却し、技術屋10名とつれ東海精機を離れたという。その後、1946年本田技術研究所を創業する事になるのだが、東海精機を続けていれば新たなピストンリングが出来たかも知れないと思うとワクワクする。


話はそれたが、リケンは『ピストンリング博物館
 http://www.riken.co.jp/piston/index.html
というHPを作っている。これがなかなか分かりやすくて面白い。トップリング、セカンドリング、オイルリングに秘める技術力、国内メーカー12社すべてが生産休止に追い込まれるのもしょうがない。自動車メーカーも休みが増えたくらいに考え、休日をエンジョイするのも良いかもしれませんね・・・・。