立川談志さん死去=毒舌と自分流、古典にこだわり

 落語家で元参院議員の立川談志(たてかわ・だんし、本名松岡克由=まつおか・かつよし)さんが21日午後2時24分、喉頭がんのため死去した。75歳だった。東京都出身。葬儀は近親者で済ませた。後日、お別れの会を行う。喪主は妻則子(のりこ)さん。
 1952年、高校を中退して五代目柳家小さんに入門。63年真打ちとなり、五代目立川談志を襲名した。回転の速いしゃべりと毒舌でテレビ番組でも人気者となった。66年に始まった日本テレビ系の「笑点」では初代司会者を務めた。
 69年、衆院選に旧東京8区から出馬し落選。71年には参院選全国区で最下位当選し、自民党入党。沖縄開発庁政務次官を務めたが、酒に酔って臨んだ記者会見での問題発言で次官を辞任した。
 その後、落語家の活動に力を入れたが、真打ち制度をめぐり、所属していた落語協会を83年に弟子と共に脱退し、落語立川流を創設して家元に就任。常設の寄席に出演できなくなったものの、ホールでの落語会を続け、人気を集めた。落語は「人間の業の肯定だ」として、古典を現代的に究めることにこだわり続けた。
 弟子にはテレビの司会などでも活躍する立川志の輔さん、立川志らくさん、古典落語が人気の立川談春さんらがいる。
 談志さんは97年に食道がんの手術を受け、がんや持病の糖尿病と闘いながら落語を続けた。3年前には喉頭がんを治療したが、昨年11月に再発。本人の希望で手術はせず、できる限り高座に上がり続けたが、今年3月6日の川崎市での一門会の高座「蜘蛛駕籠(くもかご)」を最後に活動を休止していた。


 朝、新聞で訃報を知った。中日春秋にはこんなことが載っていた。
「葬儀屋」というお題の「なぞかけ」だ
  「葬儀屋とかけまして、ウグイスと解く」
  「その心は」
  「なくなくうめにいく」
と答えたという。

 笑点の初代司会者だけあって粋である。彼独特の毒舌に隠れた美しさを十分味わせてくれる。毒舌だけの人間ならあちらの世界にはいかないだろうが、感性高い表現力は閻魔さんも横に置いておきたいだろうなんて思ってしまう。彼の噺には裏にある人間性をほのかに醸し出してくれる。

「あの野郎、死にやがったな・・・」と酒が飲みたい気分である。